中上和則

大川の起業家イズムを徹底的に叩き込まれた中上は、兄との約束「世界に通用する人間になる」を実現する

PROFILE

1995年生まれ。東京都世田谷区出身。専修大学法学部卒業。
私は2020年春に専修大学法学部を卒業し、現在、株式会社Brain Trust from the sun(以下BTS)の研修生として、大川社長のもとで勉強をさせて頂いております。私の家庭は母子家庭で12歳離れた兄が父親代わりでした。在学中は二部学生、いわゆる夜間大学に通っていました。学費を払うためにいろいろなアルバイトをしました。兄は26歳に赤坂で起業し、インターネットの会社を運営し、私自身が14歳の頃から経営者として活躍していました。兄は私の憧れでした。兄を見てきた私にとって経営者という職業は身近に感じる職業の1つでした。その影響もあり、高校は全国に2つしかない起業科コースがある高校に進学し、パソコンの知識と簿記2級の資格を取得しました。経営の模擬実践授業等、将来起業するための基礎知識を学びました。勉強すればする程、経営者はとても興味深い職業で、自分が将来会社を経営するならどんなビジネスをしたいか?友達と語りました。
将来、経営者になりたいと心に決めていましたが、具体的にどんなビジネスをすればいいか決められないまま、大学に進学する道を選びました。兄からは「将来一緒に会社を経営するときに役に立つことを学びなさい。」と言われ、法律を学んで、兄を助けるために、法学部に進むことを決意しました。経営者として社会に貢献していきたい。将来のビジョンを描きました。
大学に入学したころ、自分の人生は一変しました。兄の紹介で男性アイドルのレッスン生として、芸能事務所に所属することになったのです。私は高校時代に応援団をしていて、皆で何かを作り上げることに興味を持っていたので、舞台を中心とした芸能活動にのめり込みました。いつしか、自分の写真を売ることで月に100万円程度のお金を稼げるようになりました。それまで、母子家庭でお金がなかった生活が一変しました。友達や女の子と遊ぶことを覚えると、生活が派手になり、経営者になるという目標を忘れて、気が付けば2年生へ、単位もまともに取れず3年生へと進みました。この頃になると周りのしっかりとしている友人は就職活動を始めます。大学入学迄、しっかりビジョンを描き進んでいただけに、現状の自分の環境はいつまでも続かないだろうと予測はしていました。しかし、その現実から逃げて就職活動という言葉に触れないようにしていました。当時のそんな私自身の逃げ口上は、「やりたいことは今考え中。」でした。


アイドル活動をしているときに、好きな女性ができて、その人が嫌がるので月収100万円を稼げるアイドル稼業をやめました。しかし、学費は払う必要があったので普通のアルバイトを始めました。そのころ兄から電話がかかってきました。「今度コールセンターを運営することになったから仕事を手伝ってくれないか?」私が悩んでいるのを見かねて、誘ってくれたのだと思います。当時の自分としては、新しい道を開くにはここで何かを変えなくてはならないと感じ、学校に行きながら兄と一緒に働くことを決意しました。その時兄と一つの約束をしました。「一緒に仕事をすると、年の離れた兄として、他人にはない感情があるから、言いにくい事もあるし、注意出来ない事もある。それでも、将来立派に活躍できるように鍛えるから、何があっても、俺の言うことは和則の為に言っていると信じてほしい。生きていく事は難しくて、沢山辛い思いを誰もがする。和則にはできるだけそんな思いをさせたくないから、短期間で一気に成長して、世界に通用する人間をなってほしい。」そんな約束です。

この約束を胸にコールセンターの設立後、毎日、知恵熱で頭が熱くなる感覚を感じながら働きました。責任ある仕事を与えてもらいアルバイトの人たちを引っ張っていかなくてはいけないポジションになりました。高校時代に思い描いていたビジョンに少しずつ自分が近づいている感覚を覚えました。

夕方まで仕事をしてから、大学へ行き、家へ帰る生活を繰り返しながら、経営者の兄を1番近くで見ることできました。少しでも追いつきたい。将来は2人で世界に通用するような経営者になって活躍したい。それがいつしか兄弟の夢になっていきました。兄弟の原動力は母親です。女手一つで育ててくれた母親を幸せにしたいといった強い想いが力になっていたと思います。そうして大学3年生を過ごし、大学4年生へとなったとき就職活動という言葉から逃げることはなくなりました。周りの同級生を見ても、焦りや不安がなくなっていました。尊敬する兄の下で多くの経営者の方を見て、仕事に打ち込む生活を送っていた自分は、明らかに以前の自分ではありませんでした。努力してきたことは必ず経験値として、自分への信頼と自信になる。そう兄が信じさせてくれました。そういう生活が就職をせずとも、同い年の学生には負けない、負けたくないと更に自分を追い込むきっかけにもなりました。この頃、コールセンターを運営していた事務所を業務拡大のために移転しました。2019年5月BTS-OFFICEに入居。ここでBTSの大川社長と出会いました。コールセンターの運営行いながら様々なビジネスを行っていた兄は大川社長と話す機会が増え、意気投合して、BTSの鎌倉の宿泊施設の宣伝広告費の分野を盛り上げていくお手伝いをすることになりました。私もコールセンター業務を行いながら兄と共に大川社長の力になるべく頑張りました。BTSが中核法人として立ち上げた鎌倉農泊協議会が農林水産省の助成事業に採択されることになり、私と兄は一緒にそのホームページを作成する担当になりました。いろんなことがうまく回り始めた。そう感じていた時、突然兄が脳梗塞で倒れました。

すべてが、止まりました。

今まで兄を追いかけ、兄を尊敬し、兄の背中を見て走り続けていた自分にとって兄のいない状況は考えられませんでした。多くのクライアントとの仕事の話や、会社の運営全てを自分が対応しなくてはいけなくなりました。朝、連絡がきて、事情を説明し、訳も分からず動き回りました。電車でクライアント先へ向かいその間に別のクライアントへ連絡を入れる。その繰り返しです。正直、生きているのか、息を吸えているか、空腹も感じず、寝ていても心配になり、夜更け頃目が覚める。そんな一週間を過ごしました。自分の最高に尊敬する兄がいなくなった現実を感じるタイミングも無かったかもしれません。追い打ちをかけるように、東京ではコロナウィルスが流行し、ショービジネスを行っていたクライアントが劇場を閉じる事になりコールセンターも運営していく事が出来なくなりました。これからどうやって生きていくか、従業員をどう守っていくかそう途方にくれていました。

そんな時、大川社長から「BTSで研究生として働かないか?従業員も一緒に。」と声をかけて頂きました。どん底で目標を失っていた自分にとって本当に感謝しかない言葉でした。本当に心身ともに支えて頂きました。新たに自分を成長させることが出来る環境と挑戦出来る事に感謝し必ず恩返ししたいと強く思いました。

MESSAGE

こうしてBTSで日々研修を行って頂いております。目の前の目標は10月にある宅建に合格し大川社長の力になる事です。そして兄との約束「世界に通用する人間になる」を実現するために、日々一歩ずつ成長していきたいと思います。

中上和則のブログ記事

PAGE TOP